マナーとコスト

最近、マナー違反についての話題が多くなっていますね。

マナー違反、つまり迷惑、または危険行為ということですが、
この話はコストとして考える事もできます。

何を違反とするかは、ともかくとして、

マナー違反を防ぐ為に、教育、監視、建物の強化等を行えば、
当然コストが発生します。
すると、コストに見合わなければ、
そのサービスや娯楽は無くなってしまう可能性がありますね。
また、それが安全についてであれば、普段気にかけていないだけで、
その維持コストは増大してしまいます。

社会生活に関わるマナーであれば、そのコストもまた社会(企業、行政等)から拠出されているので、結果的にその原資は、私達が創出した付加価値から支払われる事になりますね。

労働対価といいますが、これは自給自足生活のような場合に当てはまるもので、
現代社会では、労働自体は生産や提供(サービス等)のためのコストでしかなく、それだけでは食べていけません。
生産物や、提供物から金銭を得なければなりません。これが付加価値の正体ですね。ですから高付加価値とは、高利益という、ある意味分かりやすい話です。

さて、マナーのコストに話を戻します。

以上のことから、マナーの維持に対するコストの増大を補うためには、
ただでさえ労働のみでは生活出来ない仕組みのなかにいる私たちの、
生活の糧である付加価値を奪うので、結果として創出した付加価値が下がっていく事になります。

つまり、もっともっと、付加価値を創出しなければ、同じ水準の社会が維持できなくなっていくわけですね。

わたしたちの日本型社会は、相互監視の内在化(自動化)が強化され、再生される社会システムであると考えると、マナーのためのコストは最小化されていたと推論できます。

マナーが維持される事で得られるメリットより、
マナーを維持するためのコストが大きいなら、
ましてやその差が、非常に大きいといったケースでは、
マナーそれ自体の再評価といったことにも妥当性が生まれますね。

コストというと、非人間的な響きがつきまといますが、
例えば、労働時の身体的、精神的疲労。
行きたくない、やりたくないといった気持ち、もまたコストです。

もしもこの社会全員の価値観が、
出来るだけ少ない労働で、出来るだけ多くの付加価値を創出すること。
だとしたら、
妥当なマナーとは、
出来るだけ少ないコストで、可能であればそれ自体が付加価値を創出するもの。
となりますね。

マナーについて考える時、それをコスト&メリットで評価していく合理性の共有。そんな人々と暮らす社会は実現可能なのでしょうか。

私には分かりません。

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