デジタル現像室

 

これを写真と言えるのか。
創った本人がそう思う。

デジタル写真が普通になり、RAWからのデジタル現像も当たり前になった。デジタルの黎明期では、8bitの低解像度Jpegでしか保存できなかった。

プロユースな現像ソフトならAdobe Lightroomあたりだが、自分は使っていない。

PhotoshopのRAW現像で素材としての質を整える。それからあとが現像。つまりPhotoshopが現像ソフトになっている。

写真を本格的に始めた(一眼)のは、デジタルから。
初めのうちは楽しくて、あちこち撮っていたが、だんだん納得いかなくなってきた。

やがて気がついたのは、撮ろうと思ったモノが、
撮れていないということ。
レンズだの、画角だの、絞り、スピード、フラッシュと散々試した。
つまるところ写真が下手なのだと思った。

それと同時に、あの時「いい」と思ったものが、どうして写ってないのか。不思議だった。

それは結局、心が見ているもので、
光学的現象だけでは再現されないものなのだと考えるようになった。
この「見えるのに、撮れないもの」が自分の写真のテーマになった。

そこで、それを再現する試みとして、デジタル加工に手を染めて、
ついには単なるコラージュや合成といった度合いではなく、
もはや絵といったところまでいってしまった。

やがてレンズを向ける時、その素材からどんなものが出来てくるか、
予想がつくようになってきた。
撮る以前に、脳内でプレ現像しているのだ。
こんな人間を写真家と言えるだろうか。
自分なら言わない。

ところでそうなると写真とは何か。

単にフォトリアリスティックだけを理由にすれば、
スーパーリアリズム( 超写実主義 )の絵画や、CGまでもが、写真となり、
勢い写真なんてものは、もう無いのだと思えてしまう。

でもそうじゃない。

写真にしかないもの。
それは、即興性と偶然性だ。

どんなに狙っていっても、写真には撮った瞬間の被写体との即興性があり、意図しないものや、陰影、レンズ効果といった偶然が入り込む。

もしも、撮るものに迷うようになったら、
あなたが撮りためた写真を眺めて、
撮れなかったものを探してみるのも手だ。

そしてそれに気がついたなら、次はそれが撮れるまで、ひたすら撮る。
そんなことをしているうちに、ありふれた被写体にまで、
あなたにしか撮れないものが写るようになるんだと思う。

それこそが写真なのだと思うようになったころ、
私は写真をほとんど撮らなくなった。

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