昭和ノスタルジー

実は未読です。ごめんなさい。
それはこんな書籍…

amazon:書籍紹介からの引用
「道徳自警団」がニッポンを滅ぼす (イースト新書) 著者:古谷経衡
ネット社会が生み出した現代のクレーマーである「道徳自警団」。法律ではなく、道徳的であるか否かでものごとを裁き・・・はては無名の個人にまで電凸、メール、FAX攻撃が容赦なく浴びせる。現在ではそれに恐れをなした有名人が発言を自粛。これこそ現在の日本の「息苦しさ」の正体そのものではないか。

どこかの記事の引用だかで目に止まり、Amazonでの内容紹介とレビューを読んでいるうちにお腹いっぱいに。

論理的思考力を持ちつつ、思考連鎖に陥らない行動力や、ヘーゲル弁証法的直感力でズバズバと物を言う人物。私としては悪い印象ではありません。

未読なこの書籍のレビューによると、文中には「人生は楽しむためにあるのに、我慢しろという社会は異常」とあるらしい。気持ちは分かるけど、それなら道徳自警団系な方々も、要は楽しんでいるのではないかと。

古谷氏はこれに、金銭的余裕を取り戻せば社会は寛容になるのだから・・・と畳み込んでいる様子。つまり昭和への回帰であるようにも読めます。

ところで、道徳自警団系な方々の言説もまた、実に昭和的です。それはどちらかと言えば、より昭和初期のような印象があります。

昭和という時代は、いろいろな既成概念を破壊していくことがベースにあった時代でした。
例えば家族(家父長制)からの開放、独立、自立ということが夢であったりしたわけです。

長くなるので端折りますが、ここで叩いているもの、叩かれているものの両方は、その実、昭和という時代の前期的か後期的かといった印象があります。
そしてその両者には「やったもん勝ち。楽しんだもん勝ち」は許せいないという共通項がある気がします。

時代は平成ですら終わろうとしているところで、社会システムはあちこちで停滞し、時間経過の感覚が異様に遅く、一方ではネットや各種共有、監視システムの普及から、いわばガラス張りとなり、その分影がなく隅々まで見渡せる部屋になった。つまりそれだけ狭く見えるわけです。

息苦しさはとは、変化に乏しい時間感覚と、間接照明の無い、理科実験室的な視覚時代がもたらしているものかもしれません。

だとすると、闇の世界を横溢として抱え込みつつ、猛スポードで時代が動いていた昭和という感覚世界は、どちらにとっても魅力的に見えるのかもしれません。

しかしそんな「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」は、平成に至り、バラマキの効果も虚しく国連常任理事国入は果たせず、戦前戦中に構築された動員体制を戦後も維持し、そのまま経済戦争へと突入し、経済をして欧米諸国と対等な国家たらんとした目論見も潰えたわけです。

つまり今わたしたちは、二度目の敗戦。経済戦争の敗戦国という瀬戸際に立ち、やっかいな事には、2つの戦後処理を一度に済ませなければ立ち行かない…そんなところで右往左往しているのかも知れません。

そうだとすると、昭和へのノスタルジーには、味もあり全否定してしまうようなものではないにしても、それを仕上げして新たな視座、様式を生み出す方向へと、残されたエネルギーを注ぐべきではないでしょうか。

平成後期、それは昭和の亡霊に取り憑かれた時代。私はそれで終わりにしたいものだと思っています。
つまり、両者が使っている結局は同じ武器であるところの道徳ですら、持ち変えなければならない時がついに来たのだと。武器、力、暴力について、新たなシステムが必要なのです。