電柱萌えが止まらない

情緒変換

無電柱化民間プロジェクトというのがある。

「防災・安全・美化・観光」といった視点で、日本の無電柱化を推進する「無電柱化民間プロジェクト」。その写真コンテストが開催された。( 応募してません )
すると、電柱が邪魔な風景を募集したら「電柱萌え」が集まったという逆効果が。

電柱電線がある景観は、TVアニメのLainや、新海誠監督作品等で、印象的に表現されていたりで、日本人の心象風景に、しっかり焼き込まれている。「懐かしさ」「つながり」「超然とした姿」といった情緒だろう。
しかしよく見てみると、それはゴチャゴチャした結線であったり、住宅や窓のすぐ先にある6000ボルトもの高圧線だ。こうした電線電柱のグロテスクさをうまく表現しているのが大友克洋の作品世界だろう。
しかし日常ではあまりに見慣れているので、不思議とも、変とも思わず、無害な情緒へと無自覚に変換される。グロテスクさは脳内消去されている。

アート・異化する力

ところでアートには「見慣れたものを、見慣れないものに変換する」という効力がある。マルセル・デュシャン「泉」などは分かりやすい例かも知れない。なにしろ便器を逆さに設置しただけの作品だ。
グロテスクにも、時として美しさが宿るワケだから、電柱電線の姿で言えば「見慣れないもの(グロテスク)を、見慣れたもの(日常)へ」と変換するとき、美しさや情緒が生まれているのかも知れない。
もしそうならば、アートには日常無自覚に常時作動する、一種の無害化装置のような機能があるのかも知れない。

コストと黒船

無電柱化を巡る意見には「コストがかかるだけで無意味」といったものがある。それも一理有りだ。
一方、電線だけではなく、通信線、ガス、上下水道といった生活インフラの共同溝化として考えると、そのためには区画や管轄行政区の改変も必要だろうから、それは都市計画から技術開発にまで及ぶものだろう。つまりそれはより根本的な事象へのアプローチということになる。この国はそういうことが苦手だ。だから、より根本的で本質的なソリューションを持つものが時として「黒船」的に現れて、ごっそりとやられてしまう。

そんなワケで、わたし自身一時期は電柱萌えで、Instagramにアップして楽しんでいたりしたけれども、今回は、電柱電線のある風景を「絡み合って解けない」「しがらみだらけの日常」というテーマで撮影し、Kindle化してみた。電柱萌えが止まらない:サイト内の作品紹介ページ